2008年02月07日

短歌鑑賞:結城哀草果その1

 結城哀草果(ゆうきあいそうか、明治26年10月13日〜昭和49年6月29日)、山形県に生まれる。大正3年斎藤茂吉に師事してアララギに入会。農耕に従事しながら作歌に励んだ。

 先ずは第一歌集『山麓』(昭和4年)から。
☆雪掃きに穿く藁靴をあたためて雪を掃かむと思ひたちをり

 さぞや雪が重く降り積もったことだろう。雪かきをかかせば、道はなくなり屋根が傾ぐだろう。当然、その作業を行なう足許は次第に凍えが伝わって来る寒さだ。せめて穿くときぐらい、暖をとりたいことだろう。

☆入りつ日に尻をならべて百姓ら田なかの土を掘りやまずけり

 田作業の風景、夕陽の射す中に百姓らの尻が並んでいる。今日やっておかねばならぬのだ。

☆今夜(こよひ)こそ夜のありたけを眠らめとねむりこがるる蚕飼(こが)ひづかれに

 養蚕作業に追われて、満足に眠れない、疲れきって今夜こそ眠りを貪ろうと思う。

☆夏刈りの刈桑新葉(かりくはにひは)に音のして白玉おきて降れる雨かも

 どんな雨音だろうか。パチパチと弾けるような音だろうか。葉には弾力が残っているのか、白玉のように雨露が出来る。

(山々、蔵王山)
☆このあした衣手(ころもで)さむしみんなみの山に雲ゐて風おこるらし
☆田のなかに稲扱(こ)きながらながむれば蔵王の山はすでに真白し
☆蔵王は朝(あした)吐きたる白雲に己(おのれ)かくれていまは見えずも
☆群雲は山の腹より湧きいでて蔵王の山はいかめしく見ゆ

 哀草果の随筆『村里生活記』に「十月末に山は真裸になって骨骼をあらわすが、一夜の大吹雪がその骨(岸壁や断崖等)をすっかり覆うてしまった冬山の雪肌の美しさは、崇高の極致であって譬えるものを知らない。それは太陽の光線の角度と、その光の陰と日向によって山の立体感が表現されるのであるから、実に微妙である」にありと佐々木幸綱が解説に引く。

 農作業の合間に見る蔵王他の山々が霊気さえ発しているのでなかろうか。苦労の多い暮しの中に訪れる浄福の瞬間かも知れない。

☆国捨てて遠去りし娘(こ)も児(こ)を産むと此の雪の里恋ひ帰りける

 この時代、貧しい娘たちの多くが売られた。「…多くの娘だちは、数年ならずして性病に、あるいは肺癆(はいろう)に罹り、また私生児を抱えて貧しい村々に帰ってくるのである」(村里生活記)。

☆百姓のわれにしあれば吾よりも働く妻をわれはもちたり

 ちょっと字余りだが百姓にサラリーマンを入れても成立ちそうだ。いや売れない小説家なんて方がぴったり来るか、その場合は「物書きの」になるだろうが。

☆あかがりに露霜(つゆじも)しみて痛めども妻と稲刈れば心たのしも

 結婚間もない頃の作と言われる。

☆あかときと夜鴉(よがらす)啼けど吾妹子(わぎもこ)は吾が腕(て)をまきて眠りたるかも

☆旅行くと振り返りみれば吾が家の垂氷(つらら)の下に妻立ちて居り  

 随分昔のTV番組に大好きな忍者ものがあった。その冒頭に「忍(しのび)とは刃の下に心を置く者なり」(うろ覚え)とかいう定番のナレーションがあった。つつらもまた鋭利な凶器になり得る。溶けて水滴が落ちる様も、水分を吸って成長して尖って行く様もどちらも感情に訴える。この歌の場合、妻は忍び難い気持ちを忍ぶのだろう。それは何時つららに刺し貫かれるかも知れぬ恐ろしさ、心細さだろう。

☆日照雨(ひでりあめ)暑き真昼を降りながら野を遠く啼くひぐらしの声
☆吾と嬬(つま)は寒き朝あけ飯くふと火鉢のふちに卵わりをり
(続く)
posted by 三間堀 at 16:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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