2018年10月22日

【ほぼ転載】不可入性 中原中也 青空文庫


 芥川龍之介『手巾』は夫の死に耐える未亡人の、表面の礼節・静粛を裏切る女の感情の激しさをテーブルの下に隠された手に持つ手巾の震えで表現した。武士道の名残の話だったのでないか、と半世紀前の記憶(正しい理解だったかは不明)が蘇る。対して表記は男の側の立場からだが、好き勝手に女の感情を切り刻んで見せる。還暦を過ぎた私には青年時代の感情の固定かもしれないが、阪大理学部を優秀な成績で卒業した某女との交際の中で、数十年前だが中原描く感情生活の一端を突如見せつけられた体験もあり、「手巾』でなかったことから、存外変わっていないものだと思った。タイ国での見聞する女性心理は『手巾』とはほど遠く、口論の激しさだけでなく、攻撃的暴力の破裂がドラマ、ニュースに溢れており、色恋沙汰では浮気した男の逸物を寝てる間に切り取る事件がごく当たり前に起こるほどだ。刃傷沙汰に及ぶのだ。

 男にとって女は永遠の謎であり、ロマンや夢の源泉で今もあり続けているから、頭では女の冷酷なまでの打算性を理解しながらも、「胡蝶の夢」から覚めることが少ない。かつて阿修羅軍と戦ったカーリーマーは、幾ら殺してもその血が大地に落ちると復活する阿修羅に対するに、血を飲み干すことで戦ったごとく、合理的な残忍性が女にはあると思いつつ。

【転載開始】不可入性 中原中也 青空文庫版
自分の感情に自分で作用される奴は
なんとまあ 伽藍なんだ
欲しくても
取つてはならぬ気もあります
好きと嫌ひで生きてゐる女には
一番明白なものが一番漠然たるものでした
空想は植物性です
女は空想なんです
女の一生は空想と現実との間隙の弁解で一杯です
取れといふ時は植物的な萎縮をし
取らなくても好いといへば煩悶し
取るなといへば闘牛師の夫を夢みます
それから次の日の夕方に何といひました
「あなたはあたしを理解して呉れないからいや……」
それから男の返事は如何でした
「兎に角俺には何にも分らないよ――
もつとお前盲目になつて呉れ……」
「盲目メクラになつて如何するの」
「お前は立場の立場を気付き過ぎる」
「あゝでもあなたこそ理窟をやめて、盲目におなんなさい」
「俺等の話は毎日同しことだ」
「もう変りますまいよ」
「そして出来あがつた話が何時までも消えずに、今後の生活を束縛するだらうよ。殊に女には今日の表現が明日の存在になるんだ。そしてヒステリーは現実よりも表現を名称を吟味したがるんだ。兎に角おまへを反省させた俺が悪かつた」
「だつてあなたにはあたしが反省するやうな話をしかけずにはゐられなかつたんです」
「黙つてればよかつた」
「やつぱり何時かは別れることを日に日により意識しながら、もうそのあとは時間に頼むばかりです」
「恋の世界で人間は
みんな
みんな
無縁の衆生となる」
無縁の衆生も時間には運ばれる
音楽にでも泣きつき給へ
音楽は空間の世界だけのものだと僕は信じます
恋はその実音楽なんです
けれども時間を着けた音楽でした
これでも意志を叫ぶ奴がありますか!
だつて君そこに浮気があります
浮気は悲しい音楽をヒヨツと
忘れさせること度々です
空 空 空
やつぱり壁は土で造つたものでした。(止め)
【転載終了】


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2018年10月12日

【長唄】折口信夫 長唄のために 青空文庫


 まずは例題。勧進帳から。


 長唄に馴染みがあるわけでない。寧ろ門外漢だ。にも関わらず、興味津々なのは、詩歌、いや言語そのものにその慈第二生きた人々の生活のリズムがあり、すぴーどかんかくがあり、もっと言えば「生きる」を刻む体内時計が埋め込まれていようからだ。偶々折口信夫「長唄のために」が青空文庫に収録されたのを機に「小文」ながら、大阪・江戸の違いが大きいとあった。

<明治三十年代になって、上京して初めてこちらで時折、長唄や清元を聞いた訳だが、長唄にしても、清元にしても、これが所謂上方の江戸歌の系統のものかと驚いた程に、大阪で聞いた江戸唄の印象とは違ってゐた。おそらく、大阪ではじめて長唄を芝居へ入れたのは斎人市川右団次(大正五年歿七十歳)であったのだから、それ程大阪の町には江戸唄は緣賀なかったのである。(止め)

 思えばラジオの登場が千九百年(明治三三年)だから、マスコミを通じた相互影響にはまだ間があった。勿論、好みの士には細々伝えられていただろうが、相互影響には至らなかっただろう。それが今日のように渾然一体となりつつも、それなりの味わいを残すとは、予想出来ぬことだったろう。
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2018年10月10日

3つのニュー・ディール:何故ナチスやファシストがFDRを愛したか その2(完) David Gordon 09/13/2018


【承前】その1はこちら
9。もう一度、我々はありふれた誤観念を避けねばならない。ヒトラーやそのイタリアの盟友の仮借ない犯罪の故だ。独裁者がその支配する人々によって大半憎まれ恐れられている、と間違って想定されている。全く反対で、それらは戦前数年にあるかなりのお追従目的だ。人々の精神を化体した指導者は政府の古い官僚的機構に取って代わっていた。

10。ヒトラーとルーズベルトはほぼ同時に権力に登ったが、基本的な相違が際立った…同時代の観察子が特記した。彼らは大衆の魂に触れる異常な能力を共有したいたと。彼らの演説は人柄に溢れ、ほぼ親密だった。両者とも独自のやり方で聴衆に、群集に向けてでなく個人たる各聴衆に語りかけているという印象を与えた。

11。しかしシーペブッシュのテーゼは明確な反論の前に崩れまいか。疑いなく、ルーズベルト、ヒトラー、それにムッソリーニはカリスマ的指導者だった。そしてその全員が国家管理経済という新しい福音を好んでレッセ・フェールを拒んだ。だがルーズベルト市民的自由を保った、一方独裁者たちはそうでなかった。

12。だが仮令ニューディールが「柔らかいファシズム」であったにせよ、強制の要素に欠けていなかった。国家復興局の「青い鷲」キャンペーンが根本的な実例として仕えた。NRA基準に登録したビジネスマンは自分のビジネスで派手に見せつけることの出来るポスターを配布された。遵法性は自発的と想定されていたけれども、同プログラムの首領、将軍ヒュー・ジョンソンは望まれた目的を確実にするため違法なマス・ボイコットに訴えるのを躊躇わなかった。

13。「大衆は」彼(ジョンソン)が付言した、「単純に自らの計画への非遵守に堪えられない」。二枚舌のうまい実例の中で論争は言い張る。大統領への協力は完璧に自発的だが、例外には耐えられないかもしれない。人々の意思は大統領に服従するからだ。一人の歴史家(アンドリュー・ウォルフヴィン)が述べたように、青い鷲キャンペーンは「自発的な協力に基づくが、遵守しない者は参加を強制される」。

14。シーペブッシュは大衆心理のこの利用を冬季救済基金への寄付強制にドイツで使われた心理的重圧を比較する。

15。ニュー・ディールとヨーロッパのファシズムの双方ともヴィルヘルム・レプケが巧みに「大黒柱のカルト」と名付けたものによって刻印された、テネシー渓谷当局は鄙びた地域に電力を配給する手段をずっと超えたものだった。それは計画する政府の力と私的ビジネスへの戦争を象徴した。TVAはニュー・ディールの核心にある規制権限の実現たるコンクリートと鉄鋼だった。この意味で、テネシー渓谷の莫大なダムはニュー・ディールの記念碑だった、ポンティーネ・マルシャスの新都市群がファシズムの記念碑だったのとまさに同じだ。…だがそれを超えて、TVAプロパガンダもまた国内の敵、大恐慌へと繋がった資本過剰に対し向けられていた・

16。シーペブッシュが経済学の知識を知っていると殆ど示さなかったのでこの顕著な研究は殊更に顕著だ。ミーゼスとハイエクは該当ページを欠くが、それでも彼はケインズの誤りよりも遥かにずっと構築物の重大性を把握する。にもかかわらず、彼には本質への直感があった。彼は1944年ジョン・T・フリンの偉大な書物As We Go Marchingを思い出して、自著を締める。フリンは、ニュー・ディールをファシズムと比較して、依然今日の我々が直面する問題を予見した。

17。しかし望むと望まぬに関わらず、フリンが言い立てた。ニュー・ディールは恒久的な危機の国家即ち実際は社会的介入を正当化すべく恒久的な戦争を必要とする立場に自身を追い込んでいた。「それは危機の中で生まれ、危機に面して生き、そして危機の時代を生き延びられない…ヒトラーの話も同じだ」。敵方ルーズベルトの体制へのフリンの予測が1944年彼がそれをなした時よりも今日もっと適切に聞こえる。…「我々は敵を持たねばならない」とAs We Go Marchingに書いた。「それが我々にとって経済的必要性になるだろう」。(止め)
(完)
***
 TVAは資本主義が生き残るための善玉であり、ナチスやファシズムは悪玉と学校教育された記憶がある。しかし、この論文にあるように三者+スターリニズムが類似しており、日本の軍国主義も戦時経済体制による危機乗り切りだ。別の機会に触れるかもしれないが、日本の革新官僚、革新将校、近衛文麿内閣の親ソぶり、何よりもFDRのスターリン好き、米国本土内作戦本部へのソ連人スタッフ重用なぞ、ステレオタイプの学校教育では奇々怪々を解さねばならない。少なくとも第二次世界大戦が自由と民主主義vs全体主義でないのは明らかだろう。
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2018年10月08日

3つのニュー・ディール:何故ナチスやファシストがFDRを愛したか その1 David Gordon 09/13/2018


 ウエデマイヤー『第二次世界大戦に勝者なし』(上下、講談社学術文庫)は従来の見方を覆して有名だが、連合軍で注目すべきはソ連スターリンと米国FDルーズベルトの関係・動きだろう。そして同盟国側の志向が社会主義類似の国家資本主義だったことだろう。日本についても同様で革新将校・革新官僚・内閣(特に近衛文麿)は大のスターリン好きだった。奇妙なことに米ソ、日独伊いずれも社会主義/共産主義に熱愛していたことだ。表記はWolfgang Schivelbusch著『Three New Deals: Reflections on Roosevelt's America, Mussolini's Italy, and Hitler's Germany, 1933-1939. 』に材をとったリライトだ。
《骨子》
1。ルーズベルト・ニュー・ディルの批判者は屡々それをファシズムに似せる。ルーズベルトの無数の擁護者はこの攻撃を反動的プロパガンダとして却下するが、ウォルフガン・シーフェボッシュ(Wolfgang Schivelbusch)が明快にするように、それは完璧に真実だ。もっと言えば、それは1930年代にニュー・ディールの支持者、反対者双方によって、真実だと悟られた。

2。ルーズベルトが1933年3月権力に就いた時、彼は大恐慌対処のため絶大な権力の使節団を下院から受領した。

3。その団体が後退するまで下院によりルーズベルトに広範囲に許された権力は平時に前例のないものだった。下院は「この権力の使節団」を通じて事実上、政府の立法府たる自身を一時的に消し去っていた。執行権に関し唯一残っていたチェックは最高裁判所だけだった。ドイツでは、1933年2月28日の疑惑のある放火事件でReichstag(ドイツ連邦議会議事堂)が焼け落ちた後、類似した過程がヒトラーに立法権の引き継ぎを許しただけだった。

4。ナチ報道陣は初期のニューディール施策を褒め称えた。豊かな国のようにアメリカは断固として「禁止されざる市場投機の狂気」で破った。ナチ党機関紙Völkischer Beobachter(庶民の眼?)は「その経済的及び社会的政策」における思考の国家社会主義的手綱をルーズベルトの採用したことを強調し」、大統領の指導方式をヒトラー自身の独裁的Führerprinzip(指導原則)と比肩できると賞賛した。

5。ヒトラーもまたアメリカの相方への賞賛に欠けるところがなかった。「アメリカ大使ウイリアム・ドッドに曰く、義務の徳、犠牲への覚悟、及び規律が人々全体を抑えるべきだという観点で大統領と意見が合致する。大統領が米国の各個市民の前に据えたこれらの道義要求がまたドイツ国家哲学、その表現を「一般の福祉が個人の利益を超える」というスローガンに見えるものが典型だ。両国の新秩序が時代遅れの諸権利の強調に取って代わった。

6。独裁者としての職務が大量のジャーナリズムの邪魔になるのを許さなかったムッソリーニは、ルーズベルトの『翹望』の輝かしい批評を書いた。彼は「ファシズムの遺物…国家が最早経済をそれ自身の工夫の中に残さない原則を見つけた。そして別の評論で、今回はヘンリー・ワラスの新フロンティア、デュースに彼自身の協同主義と似た農業大臣のプログラムを見つけた。

7。ルーズベルトは決してヒトラーを多用しなかったが、ムッソリーニは別の問題だ。「あなたと密談しても私は構わない」。FDRはホワイトハウス記者に述べた。「私はあの愛すべきイタリア人紳士とかなり緊密な接触を維持している」。レックスフォード・タグウエル、大統領にとって一流の助言者は、イタリア近代化のためのムッソリーニ・プログラムへの彼の熱意を包み隠すのに困難な程だった。「それは最も清潔で…私がこれまで見た中で社会機械の非常に効率的な運営物だ。それが私を羨ましがらせる」。

8。何故これら同時代人がルーズベルトと二人の指導的なヨーロッパの独裁者間に類似性を見たのか。一方今日の大半の人々が彼らを反対極と見るのか。人々は歴史を遡って読む。彼らは第二次世界大戦の熾烈な敵意を投影する。アメリカが早い時期に枢軸国と戦った。当時、多くの観察子、主要な役者自身を見てきたように含んで、はアメリカ、ドイツ、イタリアに共通の新様式の指導力だった。(止め)
(その2へ続く)
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2018年10月01日

マルクスの恐ろしい「生(き)の共産主義」ヴィジョン Murray N. Rothbard


 膨大な著作に翻弄されて、マルクス理解に混迷する人は今でもいるだろう。これは自著「経済思想史のオーストリア学派的展望』(1995)のうち第2巻第10章を著者が抜粋したもの。猛毒であるマルクスを正しく理解するため、予めワクチンとして服用しておくのが好いだろう。

US Fair Useによる。脚註は省略。
《骨子》
1。マルクスの公刊上の失敗にとってもう一つの重要な理由はエッセイ「私有財産と共産主義」における共産主義社会の率直な記述だった。経済学的でなく哲学的であることに加えて、必要なプロレタリアート暴力的な世界革命の直後、究極的な共産主義が最終的に達成される前の恐ろしくも主張される必要な社会段階を記述した。マルクスの革命後社会、「考えていない」或いは「生の」共産主義のそれはマルクス主義信奉者の革命エネルギーを奮い立たせるようなものでなかった。

2。マルクスが心に留めたのは、ヨーロッパで顕著になっていた二人の辛辣な共産主義批判者だった。一人はフランスの相互主義アナーキスト、ピエール・ヨセフ・プルードンで、彼は共産主義を「抑圧と奴隷制」と非難した。そして彼に対してマルクスはエッセイであからさまに言及した。もう一つは保守的ヘーゲリアン君主主義者ロレンツ・フォン・シュタイン(1815−1890)による魅惑的な書物で、彼はフランスで旺盛になっていた社会主義と共産主義との未決着な新教条を研究するよう1840年プロシア政府が任命していた。マルクスがシュタインの1842年続刊本について「微細でテキスト的な知識」を見せつけただけでなく、現実にプロレタリア階級利害の正当化たる新しい革命教条へのシュタインの洞察の上に世界革命の基礎且つエンジンとして彼のプロレタリア概念を基礎づけた。

3。非常に顕著なことに、マルクスはプルードン、そして特にシュタインの革命後社会第一段階の描写を自ら認めて同意する。シュタインに同意してそれを「生の共産主義」と呼ぶ。シュタインの予測は、野蛮且つ鉄拳的に財産を収容し破壊する、接収する、そして物質的富同様女性を強制的に社会化することで、平等主義を施行する試みになるだろう。生の共産主義、プロレタリア独裁段階のマルクスの評価はシュタインのものより尚一層否定的だ。つまり、一般的な(即、普遍的な)売春のため女性が結婚を断念するのと同じ面で、富の全体世界、男の目的物もそうだ。つまり、社会と一般的な売春の関係として私有財産所有者と独占的結婚の関係を放棄することなのだ。

4。それだけでない、タッカー教授が述べるように、マルクスはこう結論する。生の共産主義は私有財産の本当の遷移でなく、それの普遍化だ。貪欲の勝利でなくその一般化だ。労働の廃棄でなく全ての人間への拡張だ。それは単なる新形態で新形態で、私有財産の邪悪性が表面に出るのだ。

5。要するに、私有財産の社会化段階で、マルクス自身が私有財産の最悪相と考えるものが極大化されるだろう。それだけでない、共同社会及び共同社会化が、「羨望と万事を平均水準に帰す欲望」なるマルクスの言葉にある表現通りの、当時及び現在の反共主義者の攻撃の真実をマルクスが結論づける。マルクスが主張したと思しき人間性の開花に導くとは程遠く、共産主義がそれを総体として否定するだろうと彼が認めるのだ。マルクス曰く。人間の人格性を完璧に否定することで、この型の共産主義は真実何者でもなく、私有財産の論理的表現にすぎない。自身を権力として組成する一般的な羨望は、貪欲が自身を再確立し自身を満たす、唯一別の方法にすぎない偽装なのだ。…女性への対処では、共同社会の贅沢の分捕り品にして手作りが男が自分たりえる無制限の退廃物として押さえ込まれる。

6。万事が万事、マルクスの生の共産主義の描写は16世紀の強請的な再洗礼派により科された怪物的な体制に非常に似る。

7。タッカー教授が付言する、多分明瞭なことを強調するのだ。つまり、マルクスが革命直後の時期を想像し評価した方法であるパリ宣言からのこれら活き活きした示唆が大層多分に極端な寡黙つまり、公刊物のこの話題に関して後になるといつも見せつけたものを説明する。

8。しかし若しこの共産主義が認められたように非常に怪物的な、「無制限の劣化」の体制だとすれば、何故何人もがそれを好むのか、まして人生を捧げそれを樹立すべく流血の革命を戦うのか。ここで、マルクスの思想と著作物に非常にしばしばあるように、彼は「弁証法」ーひとつの社会システムが不可避的に勝利する遷移に盛り上がりを与えるあの素晴らしい魔術の言葉ーの神話に退却する。そしてこの場合、それによって邪悪総体ー十分面白いことにープロレタリアートの革命後独裁に転じて、資本主義には進まないーが善の総体に変容する。

9。最小限を述べれば、マルクスは貪欲総体のシステムがどのように寡欲総体へと変貌するのか説明する試みが出来ず且つしないのだ。彼はそれを全て弁証法、今や主張される階級闘争のモーターが致命的に奪い去られた弁証法の魔術に残す。それでも幾分かは生の共産主義の怪物性を共産主義の「より高度な段階」の天国へと変容する。(止め)
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2018年09月17日

社会主義が失敗する4つの理由 その2 Antony P. Mueller 09/10/2018


【承前】その1はこちら
希少性の役割
4。社会主義者は希少性を無視する。彼らは計画がニーズやウォンツに従って商品やサービスの配分を規定出来ると想定する。それでも立案者はどのようにしてそうした計画が値付け基準を見出すのか答えなければならない。価格や市場がなかりせば、生産要素のどれが価値が高くどれが価値が低いかについて案内役がない。社会主義計画者は生産過程の費用について無知だ。市場がなければ、優勢な価値構造が未知のままだ。

5。ウォンツに関連する供給が商品を価値あるものにする。市場経済では相対価格が希少性の程度を示す。価格を観察することで、市場参加者は市場の信号に合わせて自らを案内する情報を受け取る。価格システムが相対的希少性について教える。合理的な決定をなすのに価格を超えて希少性の元祖や性質について詳細な情報の総合的システムの必要がない。価格システムは個別の意思決定者が単一の価格数字に複雑性を帰す。市場経済では、経済参加者が合理的に行動するのに唯一部分的知識を必要とするだけだ。資本主義では、利益を稼得し費用を避ける動機が合理的に行動するインセンティブとして働く。市場経済では、売り手と買い手同時に価格が情報とインセンティブを与える。

6。全生産が一商品の生産の仕方でほぼ無限定数の問題に直面する。人はあるコモディティーを非常に異なった原材料、技術、それに生産要素の組み合わせと際限なく多様なデザインで製造する。

優先順位の設定
7。あるプロジェクトの技術的企業化調査に沿って、人がその利潤性を計算しなければならない。販売に関連する費用抜きでは、技術的評価は無意味だ。プロジェクトが技術的に有用だということはその実現がまた価値ありと意味しない。技術的見地から効率的に見えることが経済的に見合うという面で必ずしもそうではない。費用が考慮外に残れば、社会主義生産は相応しい価値より多く費用がかかる商品生産のリスクに盲目だ。社会主義経済では、温情的な独裁者でさえも私有企業を社会化し経営を入れ替え労働者評議会を据え、そして新経済秩序が繁栄するのに必要な経済全部に支配を埋め込むべく、社会主義者の想定する価格と品質の面で正しい商品の組み合わせを提供することが出来ない。初期社会主義者は豊穣が少なからず付き従うと期待した。今や労働者が従来利潤として資本家の手に渡っていたものを手に入れるだろうからだ。だが社会主義者は生産手段の社会化が単に始まりにすぎないことを無視した。悲惨なことに彼らは経済運営に失敗したのだ。

8。社会主義計画経済の誤りは社会主義運営者が資本主義経営を買収した後も従来同様事業経営がまた続くと想定することだ。社会主義体制が行政官や工学者を訓練し党員を取締役に据えられるけれども、これら新指導者は相対的な希少性に従って決定できない、最早私有財産基盤の企業家的価格システムが入手不能だからだ。

9。現実の社会主義は命令と服従だ。市場と価格の方向付けなかりせば、野蛮な力が商品の配分を支配する。社会主義と民主主義を結合する主張は社会主義が繁栄を齎すだろうという断言に等しく詐欺同然だ。社会主義の真相は全体主義的専制主義だ。

10。堕落した資本主義でさえも最善の社会主義よりももっと多くの繁栄を生み出すのは不思議でもなんでもない。それゆえ、待ち構える課業は社会主義を好んで資本主義を除去するのでなく、資本主義をもっと良くすることだ。言い換えれば、それをもっと資本主義的にすることだ。(止め)
【完】
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2018年09月16日

社会主義が失敗する4つの理由 その1 Antony P. Mueller 09/10/2018


 ソ連邦崩壊で社会主義の敗北が明確になり、方や冷戦時代社会主義との対抗で発達した福祉国家路線も同様に維持できなくなった。総じて社会主義陣営の敗北だが、グローバル化の進展は全世界的に1%に富を集中させ、極端な経済格差を現出した。それを批判し、それに抵抗する「社会主義」運動が復活するかのようだ。そこで検討したいのが、社会主義の可能性だ。純理論的には資本主義経済理論の圧勝だが、経済以外の要素を加味すれば人間社会の維持には「社会政策」が不可欠だ。限度を弁えれば社会主義的要素を加味し得るのかどうか。表記をたたき台に理論的限界を探っておきたい。

米国FairUseによる。
【骨子】
1。新しい「民主社会主義者」は自分の信奉者に富と所得の再分配と生産や生産性を害することなく経済の大部分を社会化出来ると信じさせたい。彼らの主張は政府による経済の総合的な統制がより多くの正義と繁栄を齎すかもしれないというものだ。民主的社会主義者はより多くの計画とより少ない市場を欲する。それでもこの仮定は社会主義が偶然や環境によって失敗しないことを無視する。社会主義は失敗する、それが4つの基本的な設計上の欠陥を被るからだ。
@第一。社会主義は私有財産と市場を消滅させ合理的経済計算を除去する。
A第二。社会主義は軟弱な予算を許す・だから非効率な生産方式を廃棄するメカニズムを適所に置かない。
B第三。私有財産を廃棄し国家によるものに代えてインセンティブを歪ませる。
C第四。私有財産と自由市場の欠如する社会主義システムは労働と資本の分断というシステムの経済的協調をさせない。

市場価格の重要性
2。社会主義は繁栄を齎さない、私有財産の市場機能を破壊するからだ。社会主義下、生産手段たる指摘所有権が入手可能な資本財に最早実在しない。制度的に、社会主義は市場経済廃棄の中、それを計画経済と代替するに存する。生産手段の私有財産を廃止することで人は市場情報と寝付けを払拭する。仮令社会主義政権が消費財に価格表を付与し、そして人々が消費財を所有しようとも、資本財の相対的希少性について経済的指標がある訳でない。

3。社会主義の多くの支持者は事業経営がある種の登録或いは単純な帳簿付け以外のものでないと想定する。ウラジミール・レーニンは読み書きの知識、基礎的な算数計算の使用の何らかの熟練と会計の何らかの訓練があれば、事業経営の行動には十分だと信じた。社会主義者は高額と科学を奨励したが、起業家の必要がないと信じた。体制は教育に重度の支出をするかもしれないが、にもかかわらず起業家経済のない時、人々は貧しいままだろう。(止め)
【その2へ続く】
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2018年09月15日

元寿司職人、今はペット・ホテル経営(@バンコク)


 リタイア後の生活は、大企業の駐在員暮らしとは異なり豪華な租界生活でなく、バンコクとは名ばかりの東北郊外に住む。日本への望郷の念を断ち切った生活だから、勢い駐在員との接点、所謂日本人社会とも縁遠い。数少ない付き合いはタイ人ばかりだ。それでも僅少ながら中小邦人企業の社長とお目にかかることがある。尤も彼らは現役で仕事とその関連の日本人付き合いが多く、悠々間としている訳でなく、生活の必要情報を日本人社会に依存し、情報収集の場所も日本人の集まる飲み屋やゴルフ場だったりする。小生のような暇と愛犬を友にしてはいないから、接点は偶然の産物だ。敢えて言えば年にお一人いるかどうか。

 今年に入って友達の友達方式で遭遇したのが表記の方だ。

 年齢は私より一、二歳若いが、当初タイ国で寿司屋に打って出ようとしたらしいが、タイ国では寿司ネタが乏しく断念、パタヤで日本食堂を試みたが儲けにほど遠くこれも三年で断念。一旦帰国して仕切り直し、アルバイト的にペット・ホテルを開業したらしい。ちなみにこの「三年」が転換点だとは以前にも書いた。中小企業でタイ国進出を決める時点では、いわれのない自信と優越感に満たされ、さほど多額でもない資本金を頼りに開業に踏み切る。ところが日数だけは刻まれても想像とは大違い、立ち上がる切っ掛けさえ掴めないか、思惑が大当たりで軌道に乗るかの両極らしい。前者の見切りを迫られるのが「三年」なのだ。

 F氏は叩き上げの寿司職人で、義務教育を終えると寿司屋に奉公して修行に励んだ。滋賀県をベースに小僧奉公を終え、包丁を握らせて貰えるようになってから、京都。大阪、神戸の各地で腕を磨いたと言う。一人前になるにはそれこそ十年かかる時があるらしい。尤も裏話を聞けば、寿司屋には昇進の階段が少ないから、あえて年季を長くしているんだとか。そんなに昇進を早く認めたら、先輩方の処遇ができなくなる。暖簾分けが容易な訳でもない。権威付けをこめて下積みに耐えさせるのだと。

 タイ国進出の動機は日本での寿司屋経営の困難だ。夫婦でやりくりしてもまともな寿司屋経営が出来なくなった。折しも還暦を迎え奥さんがタイ人であり、上述した自信満々だった。(タイ)寿司ブームでもあった。なんとかなるだろう、と冒険を試みた。ところが既述の通り、寿司ネタがないのに気付いた。材料がなければ寿司は握れない。全部輸入していたら、とても高額な寿司で並みのタイ人の財布が許さない。寿司屋から転身したのがラ−メン屋だが、タイ人の好みと衝突した。なにせ天ぷらラーメンなるメニューは日本人にはコロンブスの卵だ。即席麺は定着してそのトップメーカー、ママ〜ほか定着していたのだが、味はトムヤムが大人気だった。トムヤムクン・ラーメンに親しんでいたタイ人にはエビ天のせの天ぷらラーメンはごく自然だったのだが、日本人のラーメン常識からは発想できない。

 そこで再度転身したのが、近くに学校が多いのを当て込んだ学生向けの定食屋だった。なんでも調理したが、今度は価格限界、精々50〜60バーツしか寝付けできない。これまた収益性ネックにぶちあたり断念。時あたかも「三年」だった。大方針の転換が必要な時だった。一旦帰国して腹を据えようと相成った。

 結論に飛ぼう。奥さんが多数の家作、不動産を保有して食に困らない僥倖があって、その家作の一部を利用してペット美容院(奥さんが検定資格を取った)とホテルをやることになった。奥さんが不動産好きで、気にいると直ぐに購入する。賃貸に回らなくなると売却に回して生活原資を稼ぎ出す。ご主人は言わば「髪結いの亭主」へと楽往生だ。器用な人でプール付き自宅の一部に犬のホテルを手作りして、愛犬家の泊まりがけレジャー時に犬を預かる。それで糊口をしのぐでなく、趣味に毛の生えた類だ。土日中心の営業で平日は釣り三昧。たまの旅行用に犬を同伴できる別荘を購入し、犬が思う存分遊べる別荘を数軒持つ。結構なご身分だ。私はそれを「犬の別荘」と呼んでいる。

 今年後半からのお付き合いだが、釣り堀同伴、ご自宅訪問(二回)、拙宅来訪と頻度が高い。犬好きでもあり、ご主人の作る広島風お好み焼き、おでんなど料理人でもあり、日本風メニューを堪能させて貰っている。


 
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2018年08月12日

北原白秋 篁から長靴三題 青空文庫


 序に「我が長歌の総てを収めて、此の『篁』を成す。主として小田原の山荘にあり て、竹林の日夕を楽しみ、移りゆく季節の風と光とに思を寄せたる、そのを りをりの古体を蒐めたり」。とあるが、青空文庫版ではたの歌集に収められているものはたの歌集に委ね省略しているものがある。従って、この書だけで長靴全部を一覧できるようにはなっていないので注意。なお、発酵年月は昭和4年暮春とある。

🎨言祝

 大君。日の本の若き大君。神(かん)ながら朗らけき現 人 神(あらひとがみ)。
青空やかぎりなき。国 土(くにつち)やゆるぎなき。万づ世の皇孫 (みすまる)。
皇孫(すめみま)や天津日継。ああ、我が天 皇すめらみこと。大君。道の大君。
大稜威。今こそは依り立たせ、けふこそは照り立たせ。高御座(たかみくら)
輝き満つ、日の御座(みくら)ただ照り満つ。御剣や御光添ひ、御 璽(みしるし)
やいや栄えに、数 多(かずさは)の御鏡や勾玉や、さやさやし御 茵(みしとね)や、
照り足らはせ。大君。我が大君。現(あき)つ神。神ゆゑに、雲の上の生日(いくひ)の光采りてますかも。


🎨あるとき

 春鳥の枝(え に揺る声の、ゆく水のかがよふ音の、朝風の松のひびき、夕風の小竹(ささ)のさゆれの、
おのづから我よあは れと、あはれにも恍(ほ)れて、しらべて、あるべきものを。

 反歌
 一(ひと)いきに歌ひ成してぞおもしろきこのごろくやし思ひ凝りつる

🎨造り酒屋の歌
 水きよき多摩のみなかみ、南むく山のなぞへ、老杉の三鉾五鉾、常寂(とこ さ)びて立てらくがもと、
古りし世の家居さながら、大うから今も居りけり。西多摩や造 酒 屋(つくりざかや)は 門 櫓(かどやぐら)
いかしく高く、棟さはに倉建て並(な)め、殿づくり、 朝日夕日の押し照るや、八隅かがやく。八尺(やさか)なす
桶のここだく、新(にい)しぼりしたたる袋、庭広に干しも列(ツラ)ぬと、咽喉太(のどぶと)の老いしかけろも、
かうかうとうちふる鶏冠(とさか)、尾長鳥垂り尾のおごり、七妻(ななづま)の雌(め)をし引き連れ、七十羽(ななそは)の雛を引き具し、
春浅く閑(しづ)かなる陽(ひ)に、うち羽ぶき、しじに呼ばひぬ。ゆゆしくもゆかしきかをり、 内外(うちと)にも満ち溢るれば、ここ過ぐと人は仰ぎ見、道行くと人はかへりみ、むらぎもの心もしぬに、踏む足の たどきも知らず、草まくら、旅のありきのたまたまや、 我も見ほけて、見も飽かず眺め入りけり。過ぎがてにいたも酔ひけり。酒の香の世々に幸(さき)はふ、うまし国うまし
この家(や)ぞ、うべも富みたる。

 反歌

 大御代の多摩の酒屋の門 櫓(かどやぐら)酒の香さびて名も古りにけり

 西多摩の山の酒屋の鉾杉は三もと五もと青き鉾杉
***
 江戸は各地に清水が湧いて飲料水には困らなかったらしい。そして清水の湧くところ地酒が発達したらしい。私が在日時代の最後にすんだ賃貸マンションはそうした地酒屋の有効利用物件だった。近くに白子川が流れていたから水に不自由はなかったことだろう。ちなみに隣が煎餅屋で、製造過程で不整形になった煎餅を「くずれ煎餅」と称して安く小売していて便利だった。

 日本全国かは知らぬが造り酒屋はあちこちにあったろう。そして小さな物語もまた随伴していたのでないか。

ラベル:長靴 北原白秋
posted by 三間堀 at 12:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月23日

西東三鬼 今日 青空文庫


 戦後、昭和23年から26年に詠んだもの。この間神戸市山本通、兵庫県別府、大阪府寝屋川市を転々、都度職を変えた。
戦時中の口封印から解放された時に詠んだ「夜の桃」の饒舌を是正する試みと後記にある。以下任意にピックアップ。

🎨昭和23年
♣陳氏来て家去れといふクリスマス

♣北風に重たき雄牛一歩一歩

♣燈火なき寒の夜顔を動かさず

♣寒の地に太き鶏鳴林立す

♣寒の夕焼架線工夫に翼なし

♣電工が独り罵る寒の空

(波郷宅)
♣友搗きし異形の餅が腹中へ

♣餅食へば山の七星明瞭に

♣弁当を啖ひ居り寒木を伐り倒し

♣暗闇に海あり桜咲きつつあり

♣天に鳴る春の烈風鶏よろめく

♣くらやみに蝌蚪(くわと)の手足が生えつつあり

♣塩田や働く事は俯向く事

♣蚊の細声牛の太声誕生日

♣麦熟れてあたたかき闇充満す

♣黴の家泥酔漢が泣き出だす

♣狂女死ぬを待たれ南瓜の花盛り

♣枝豆やモーゼの戒に拘泥し

(仮寓)
♣甘藷(いも)を掘る一家の端にわれも掘る

(悼石橋辰之助)
♣友の死の東の方へ歩き出す

♣涙出づ眼鏡のままに死にしかと

🎨昭和24年

♣そのあたり明るく君が枯野来る

♣寒林が開きよごれし犬を入る

♣枯野行く貧しき移転にも日洩れ

♣煙突の煙あたらし乱舞の雪

♣崖下のかじかむ家に釘を打つ

♣屋上に草も木もなし病者と蝶

♣跳ねくだる坂の林檎や日向めざし

♣仰ぎ飲むラムネが天露さくら散る

♣女医の恋梅雨の太陽見えず落つ

♣炎天の坂や怒を力とし

♣翼あるもの先んじて誘蛾燈

♣松の花粉吸ひて先生胡桃割る

♣唄一節晩夏の蠅を家族とし

♣青葡萄つまむわが指と死者の指

♣饅頭を夜霧が濡らす孤児の通夜

♣死後も貧し人なき通夜の柿とがる

🎨昭和25年

♣滅びざる土やぎらりと柿の種
(波郷へ)
♣男の祈り夜明けの百舌鳥が錐をもむ

♣冬かぶさる家に目覚時計狂ひ鳴る

♣書を読まず搗き立ての餅家にあれば

♣年新し狂院鉄の門ひらき

♣教師俳人かじかみライスカレーの膜

♣餅搗きし父の鼾声家に満つ
(北陸)
♣みどり児も北ゆく冬の夜汽車にて

♣雪国や女を買はず菓子買はず
(修徳学院)
♣院児の糧大根土を躍り出で し

♣少年院の北風芋の山乾く

♣病者起ち冬が汚せる硝子拭く

♣病廊を蜜柑馳けくる孤児馳けくる

♣種痘のメス看護婦を刺し医師を刺す

♣肺強き夜の蛙の歌充ち満つ

♣飴をなめまなこ見ひらく梅雨の家

♣夜となる大暑や豚肉(ぶた)も食はざりし

♣敗戦日の水飲む犬よわれも飲む

♣かゆき夏果てぬすつくと曼珠沙華

♣病孤児の輪がぐるぐると天高し

🎨昭和26年7月まで

♣煉炭の臭き火税の紙焦す

♣父掘るや芋以上のもの現れず

(静塔カトリツク使徒となる)
♣脳天に霰を溜めて耶蘇名ルカ

♣ルカの箸わが箸鍋の肉一片

♣わが天使なりやをののく寒雀

♣恋猫の毛皮つめたし聖家族

♣吹雪を行くこのため生れ来し如く

♣野を焼く火身の内側を焼き初む

♣菜種星をんなの眠り底知れず

(九州)
♣黒く黙り旅のここにも泥田の牛

(清光園療養所)
♣肺癒えよ松の芯見て花粉
吸ひて


♣真黒き汗帽燈の下塗りつぶす

♣神が火を放つ五月の硬 山(ぼたやま)に

♣胸毛の渦ラムネの瓶に玉躍る

♣梅雨はげし百足虫殺せし女と寝る(止め)
***
 この頃、石炭がまだ黒いダイヤでなかったか。貧困の歌が多いが、それはまだ誰も同じだった。baby boom時代でもあった。

 私の生まれた年前後を詠っていて、好奇心の角が伸びる。
posted by 三間堀 at 07:24| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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