久保田万太郎の句に「七月十日浅草にて」の前書つきでー
☆四万六千日の暑さとなりにけり
ーというのがある。
今ではもうこの言葉さえ知られていないだろうが、(旧暦)七月十日は観音様の結縁日で、この日にお参りすると「四万六千日」分の功徳があるとされる(東京の浅草寺が有名)。万太郎は浅草の子だから骨身に染み付いた縁日だが、ここでの「四万六千日」は数の大きさが暑さを強調するものとなっている。
四万六千日は夏の季語として他にも多くの句がある。たとえば、水原秋桜子にはー
★炎立つ四万六千日の大香炉
ーというのがあり、万太郎句に似て暑さ、熱さ(香炉)を強調するかのようだ。
観音、不動、地蔵は日本の庶民信仰で馴染み深い。私は巣鴨のとげ抜き地蔵に馴染むと同時に、浅草観音、入谷鬼子母神とも親しんだ。鬼子母神は私の守り神だった。
浅草寺で有名なのは九日、十日に開かれる鬼灯(ほおずき)市だ。また鬼子母神ではこれに先立つ六日から八日の朝顔市だ。どちらにも出かけたものだが、朧ながら朝顔市の方が記憶に残っている。鬼灯市、朝顔市ともに夏の季語で多数の作句がある。各一だけ挙げておこう。
★いつからか都電なき街鬼灯市 山越 渚
★おしめりや朝顔市に人減らず 石川桂郎
万太郎の句以外は『仏教俳句歳時記』(大法輪閣)から引いた。今や仏教行事と無縁の暮らしをしている人が大半だろうが、その分逆に、時々の仏教行事やそれを詠んだ俳句など味わえば、或は非常に新鮮かも知れない。
2009年07月12日
2009年07月11日
生花とは 死花の誤り 実を結ぶ ことなき処女の 裸身が並ぶ 吉田純
☆生花とは 死花の誤り 実を結ぶ ことなき処女の 裸身が並ぶ
かさぶた化した通念の虚妄を破砕する鮮烈なイメージの提起だ。
これを知ったのは『詩心―永遠なるものへ』(中公新書)における中西進氏の著述からだ。中西氏はこう書いた。
木造住宅に住むことが自然に優しくない行為であることは直ぐに分かる筈なのに、当事者は自然を愛していると錯覚するケースが多い。それは花を愛しても花以外に見向きもくれず、草花や樹木そのものを慈しむことを忘れることと同じだ。山間に築造された観光道路、自動車道路をドライブして「自然は好いなあ」なんて呟くご仁と同類だ。
魚の活き造りを楽しむ、或は生きた白魚の喉越しを味わう残酷に我々は無感覚だ。自然にあるものを摂取する程、自然派だと誤解するのは何故か。確かに素材を自然に求める自然派に違いないが、それは決して自然を愛することでも、自然に優しいことでもない。逆だ。自然の優しさに甘え切ることだ。
我々人間は他の生命を犠牲にしてしか生きられない。仮令ヴェジタリアンであろうともだ。自然界の食物連鎖は他を食らうと同時に自らを他に食らわせることで均衡しているが、人間は生きている間一方的に他を食らうだけでなく、死しても火葬して自らを他の生命の滋養に供することがない。つまり、自然界の均衡破壊者なのだ。
人間の活動は自然の恵みのお陰で成り立つ。我々は誤って「生産」すると口走るが、人間に出来ることは自然資源の精々「変形」だ。我々は光合成することが出来ない。自然界の食物連鎖が最終的に植物の光合成作業に帰着することを考えれば、実は米穀だけでなく我々は植物に依存している。豚牛鶏の飼料は何だろうか。
ことは生花だけでないのだ。生肉は可哀想で食べられないがハムが大好物と言った女の子がいた
我々は一瞬たりとも他の生物の犠牲なしには生きられない。仮令人工肉を食したにしてもだ。生き切らねばならぬと思うのは他の生命の犠牲を知れば当然の心情だろう。そうした犠牲に報いねばと思わなければ寧ろオカシクないか。
またしても脱線したが、生花を嗜む人には犠牲になる花の心に思いを寄せて貰いたいものだ。素材に身を供した花々の美しさを懇ろに活かさねば罰が当たることだろう。
かさぶた化した通念の虚妄を破砕する鮮烈なイメージの提起だ。
これを知ったのは『詩心―永遠なるものへ』(中公新書)における中西進氏の著述からだ。中西氏はこう書いた。
主題は「生花」。作者はそれに処女の裸身群像(らしんぐんぞう)を連想することによって、生花への異議申し立てをする。これは死花だ、と。
まだ蕾(つぼみ)のうちに花屋へ運ばれる花。冷凍のものさえある花。彼女らは花弁を開くと同時に役目をおえ始末される。実を結ぶはずもない、処女の花。たしかに「生花」とよび何の疑いもない花の描写が氾濫(はんらん)する文字の中に、この一首は鮮烈な一矢となる。
それでいて、口吻(こうふん)の何とやさしいことか。吉田純(よしだあつし)の処女歌集『形状記憶ヤマトシダ類』の『形状記憶ヤマトシダ類』とは、和歌への痛烈な揶揄(やゆ)である。この揶揄をひっさげて登場して来た若き旗手の、風物の理解が、今後も大いに楽しみである。
木造住宅に住むことが自然に優しくない行為であることは直ぐに分かる筈なのに、当事者は自然を愛していると錯覚するケースが多い。それは花を愛しても花以外に見向きもくれず、草花や樹木そのものを慈しむことを忘れることと同じだ。山間に築造された観光道路、自動車道路をドライブして「自然は好いなあ」なんて呟くご仁と同類だ。
魚の活き造りを楽しむ、或は生きた白魚の喉越しを味わう残酷に我々は無感覚だ。自然にあるものを摂取する程、自然派だと誤解するのは何故か。確かに素材を自然に求める自然派に違いないが、それは決して自然を愛することでも、自然に優しいことでもない。逆だ。自然の優しさに甘え切ることだ。
我々人間は他の生命を犠牲にしてしか生きられない。仮令ヴェジタリアンであろうともだ。自然界の食物連鎖は他を食らうと同時に自らを他に食らわせることで均衡しているが、人間は生きている間一方的に他を食らうだけでなく、死しても火葬して自らを他の生命の滋養に供することがない。つまり、自然界の均衡破壊者なのだ。
人間の活動は自然の恵みのお陰で成り立つ。我々は誤って「生産」すると口走るが、人間に出来ることは自然資源の精々「変形」だ。我々は光合成することが出来ない。自然界の食物連鎖が最終的に植物の光合成作業に帰着することを考えれば、実は米穀だけでなく我々は植物に依存している。豚牛鶏の飼料は何だろうか。
ことは生花だけでないのだ。生肉は可哀想で食べられないがハムが大好物と言った女の子がいた
またしても脱線したが、生花を嗜む人には犠牲になる花の心に思いを寄せて貰いたいものだ。素材に身を供した花々の美しさを懇ろに活かさねば罰が当たることだろう。
2009年07月09日
2009年07月08日
リヒテルの演奏するショスタコーヴィッチ(1956)
Prelude and Fugue No. 4 in E minor, Op. 87
タグ:リヒテル ショスタコーヴィッチ
2009年07月07日
アフガニスタンきっての大人気番組「アフガン・スター」(TVオーディション)
カブールのTV局「ToIo TV」が2005年に新人スター発掘番組を制作し始めたら馬鹿受けした。「アメリカン・アイドル」の亜種だが、アフガニスタンでも求めていた娯楽だったのだろう。特に女性がステージで唄うなぞ久しくなかったことらしい。言葉は分からないが、その雰囲気を感じて欲しい。
2009年07月06日
明治10年代の歌声は『新体詩抄』でなく民権の歌だった
『新体詩抄』(明治15年、1882)は「夫レ明治ノ歌ハ、明治ノ歌ナルベシ、古歌ナルベカラズ」と宣言したが、それは孤立した小島に過ぎず、その周りの潮流をなしたのは民権を求める歌声だった。ーと前島愛が「飛ぶ歌」(『幻景の明治』岩波現代文庫)で述べている。以下これによりながら、あまり知られぬ言及の幾つかをメモしておく。
「新体詩抄」が新しい歌の創出を求めたのに対して、民権の歌は「俗謡・流行歌・詩吟など、伝統的なうたいものの形式を踏まえるかたちで誕生した」。
たとえば明治10年の「よしや武士」(暁鴉ーぎょうあー山人作)はどどいつ形式だった。
また植木枝盛の「民権かぞえ歌」というのもある。
「民権運動の昂揚する熱気は、さまざまな歌謡の形式を溶解し、あらたな結合をつくりだした」。多くの人々が自分の思想を歌い始めた。それは「唄は飛ぶぞ、津々浦々へ風に乗って飛んで行くぞ、…唄は人を呼び、人は唄を呼び、やがて一斉にうたひ出す日が来るんだ」と云う状況、正に「飛ぶ歌」の発生だった。やがてそれは演歌へと転換して行く。
その転換点に位置するのが「ダイナマイト節」だった。それは民権歌謡の亡霊たる性格を色濃く残すものだった。
歌の調子が分からないの残念だが、出鱈目でも節をつけたら好いのだろう。最も調子よく感じるものが原曲に近いのであるまいか。(日本語の伝統的リズム、音調を我らは未だ引き継いでいるだろう)。
我々は日々の生活から滲み出る自分の思想を歌わねばなるまい。世界を席巻したラップも元はと言えば黒人の生活のぼやきだった。語りにリズムがつき、リズムが語りを誘い出す。口の端に上らぬ歌など博物館の片隅にでもやってしまえ。
「新体詩抄」が新しい歌の創出を求めたのに対して、民権の歌は「俗謡・流行歌・詩吟など、伝統的なうたいものの形式を踏まえるかたちで誕生した」。
たとえば明治10年の「よしや武士」(暁鴉ーぎょうあー山人作)はどどいつ形式だった。
よしやなんかい苦熱の地でも 粋な自由の風がふく
よしやあじあの癖だと云ど 卑屈さんすなこちの人
よしや朝寝が好きじゃといへど 殺し尽せぬあけがらす
よしやシビルはまだ不自由でも ポリチカルさへ自由なら
また植木枝盛の「民権かぞえ歌」というのもある。
一つとせ 人の上には人はなき 権利にかはりがないからは この人じゃもの
三つとせ 民権自由の世の中に まだ目のさめない人がある このあはれさよ
六つとせ 昔し思へばあめりかの 独立なしたるむしろ旗 このいさましや
九つとせ こゝらでもふ目をさまさねば 朝寝は其身の為じゃない この起きさんせ
「民権運動の昂揚する熱気は、さまざまな歌謡の形式を溶解し、あらたな結合をつくりだした」。多くの人々が自分の思想を歌い始めた。それは「唄は飛ぶぞ、津々浦々へ風に乗って飛んで行くぞ、…唄は人を呼び、人は唄を呼び、やがて一斉にうたひ出す日が来るんだ」と云う状況、正に「飛ぶ歌」の発生だった。やがてそれは演歌へと転換して行く。
その転換点に位置するのが「ダイナマイト節」だった。それは民権歌謡の亡霊たる性格を色濃く残すものだった。
民権論者の 涙の雨で
みがき上げたる大和胆(ぎも)
コクリミンプクゾウシンシテ ミンリョク キュウヨウセ
若しも成らなきゃ ダイナマイトどん
治外法権 撤去の夢を
見るもうれしいポルトガル
コクリミンプクゾウシンシテ ミンリョク キュウヨウセ
若しも成らなきゃ ダイナマイトどん
…
歌の調子が分からないの残念だが、出鱈目でも節をつけたら好いのだろう。最も調子よく感じるものが原曲に近いのであるまいか。(日本語の伝統的リズム、音調を我らは未だ引き継いでいるだろう)。
我々は日々の生活から滲み出る自分の思想を歌わねばなるまい。世界を席巻したラップも元はと言えば黒人の生活のぼやきだった。語りにリズムがつき、リズムが語りを誘い出す。口の端に上らぬ歌など博物館の片隅にでもやってしまえ。
2009年07月04日
フランスにおけるヘーゲル研究は没後百年過ぎからだった
表記にはちょっと虚をつかれたのでメモしておく。
仏独が隣国でありながら、哲学の知的交流が一世紀以上停滞していたなんて、全く考えてもみなかった。フランス第三共和政(19世紀後半〜第二次世界大戦前)では一般にドイツ系近現代思想の専門研究が遅れていて、ルイ・アルチュセールに言わせれば「哲学上の白痴化の長い時代」にあったようだ。ヘーゲル文献の仏訳が没後百年経っても出版されていなかった。カントで止まりフランスではベルグソン哲学が持て囃されていた。
ヘーゲル(1770-1831)の主著『精神現象学』(1807年)がフランスで本格的に講義されるにはアレクサンドル・コジェーヴ(1902-1968)によるパリ高等研究院のそれ(1933-1939)を待たねばならなかった。その名講義にはジャック・ラカン、ジョルジュ・バタイユ、レイモン・アロン、エリック・ヴェイユ、ロジェ・カイヨワ、メルロ=ポンティ、アンドレ・ブルトンなどが出席して、やがてフランス現代思想の花を開かせることになる。
しからば日本はどうだったのか。日本ヘーゲル学会の「ヘ ー ゲ ル 日 本 語 文 献 目 録」によれば、1879年にE.F.フェノロサが東京大学文学部の「哲学史」で紹介し、その講義録たる坪内勇蔵ノート(早稲田大学演劇博物館所蔵)があった。井上圓了が『哲学要領』前編・後編を出版するのが1886、87年だった。日本はヘーゲルについてフランスに半世紀以上先んじていたことになる。
ふーん、こんなことがあるのか、と思った。隣国のフランスより極東の後進国だった日本にヘーゲル思想が先に流れ込んでいたのだ。現代ではインターネットの普及これありでこうした知的まだら模様は急速になくなっていると思うのだが、学問世界にも偏りはあって国により他国事情への感度が違うかも知れない。学問上の白痴化、思えば大変なことだ。
仏独が隣国でありながら、哲学の知的交流が一世紀以上停滞していたなんて、全く考えてもみなかった。フランス第三共和政(19世紀後半〜第二次世界大戦前)では一般にドイツ系近現代思想の専門研究が遅れていて、ルイ・アルチュセールに言わせれば「哲学上の白痴化の長い時代」にあったようだ。ヘーゲル文献の仏訳が没後百年経っても出版されていなかった。カントで止まりフランスではベルグソン哲学が持て囃されていた。
ヘーゲル(1770-1831)の主著『精神現象学』(1807年)がフランスで本格的に講義されるにはアレクサンドル・コジェーヴ(1902-1968)によるパリ高等研究院のそれ(1933-1939)を待たねばならなかった。その名講義にはジャック・ラカン、ジョルジュ・バタイユ、レイモン・アロン、エリック・ヴェイユ、ロジェ・カイヨワ、メルロ=ポンティ、アンドレ・ブルトンなどが出席して、やがてフランス現代思想の花を開かせることになる。
しからば日本はどうだったのか。日本ヘーゲル学会の「ヘ ー ゲ ル 日 本 語 文 献 目 録」によれば、1879年にE.F.フェノロサが東京大学文学部の「哲学史」で紹介し、その講義録たる坪内勇蔵ノート(早稲田大学演劇博物館所蔵)があった。井上圓了が『哲学要領』前編・後編を出版するのが1886、87年だった。日本はヘーゲルについてフランスに半世紀以上先んじていたことになる。
ふーん、こんなことがあるのか、と思った。隣国のフランスより極東の後進国だった日本にヘーゲル思想が先に流れ込んでいたのだ。現代ではインターネットの普及これありでこうした知的まだら模様は急速になくなっていると思うのだが、学問世界にも偏りはあって国により他国事情への感度が違うかも知れない。学問上の白痴化、思えば大変なことだ。
2009年07月03日
朝の散策:新渡戸記念庭園(@バンクーバー)
バンクーバーのダウンタウンから30分、海沿いの広大なUBC(University of British Columbia)の敷地内に、新渡戸稲造(1862-1933) の活躍を記念して建てられた、純和風の庭園(新渡戸記念庭園・Nitobe Memorial Garden)。
タグ:新渡戸記念庭園
2009年07月02日
酸漿(ほおづき)の鳴る音はやさしミシンやめ妻が夜更けを鳴らすほおづき 武川忠一
☆酸漿(ほおづき)の鳴る音はやさしミシンやめ妻が夜更けを鳴らすほおづき 武川忠一
出所)Wikipedia
半世紀昔の私の子どもの頃、確かに酸漿はあった、だが何度も試みた筈なのに鳴らせた記憶が全くない。気がつけば悪戦苦闘の末の醜く型くずれした姿になっているのが殆どだった。従って、どんな音だったかも記憶に無い。
勝手に草笛もどきの音でないかと思っているのだが、全く度外れ、見当違いかも知れない。ははは
幻の音だ。だがそれだけに表記のような歌にぶつかれば矢鱈と浪漫的になるやも知れぬ。最早足踏み式のミシンを使って裁縫に勤しむ女性もいまいから、ミシン、酸漿は極めてノスタルジックな道具立てになる。表記の歌は酸漿を鳴らす妻を優しく見守る夫の図だ。夫婦の情愛がほのぼの薫る作品だと思う。
母さんが夜なべをして手袋編んでくれた…なんてのも過去の幻影になっているだろうから、表記も同じようなものだろう。だが、この胸のキュンとなるのは何故だろう。手作りを失うと同時に優しい気持ちを感じることも失せて、なんでも出来合の無味乾燥になってしまった。どんなに下手糞であったにせよ、母親や恋人、カミサンの手作りは値がつかぬ程有り難いものだ。
父母の与えてくれたものは忘れ難い。それは父母そのものなのだ。
因に父親が愛用していたジャックナイフを譲り受けてから40年、私は今でもペーパーナイフ代りに愛用している。
半世紀昔の私の子どもの頃、確かに酸漿はあった、だが何度も試みた筈なのに鳴らせた記憶が全くない。気がつけば悪戦苦闘の末の醜く型くずれした姿になっているのが殆どだった。従って、どんな音だったかも記憶に無い。
勝手に草笛もどきの音でないかと思っているのだが、全く度外れ、見当違いかも知れない。ははは
父母の与えてくれたものは忘れ難い。それは父母そのものなのだ。
因に父親が愛用していたジャックナイフを譲り受けてから40年、私は今でもペーパーナイフ代りに愛用している。


